Back to Top Last Updated:10 May, 1999
Matsuyama Cricket Club
History
誕生

平成4(1992)年3月29日夜、松山クリケットクラブが誕生。

それまで松山市内を流れる石手川沿の河川敷でクリケットを楽しんでいたジョシュア L. バテイン(Joshua L. Battain)氏や上甲 泰(Joko Yasushi)氏らによる-「英国の国民的球技クリケットを松山で」-との強い呼びかけが実り発足した。

発足式は松山市内本町会館にて約50名の出席があり、会則や事業計画等を決めた。クラブの体制は、会長、副会長、理事、会計そして監査からなるコミティメンバーと実際にスポーツを楽しむチームそしてスポンサー団体の3つの組織から構成されることなどを決めた。そして初代会長には当時松山大学経営学部倉田三郎教授に着任していただいた。「クリケットの持つ国際性、フェア精神、そして国内での希少性を松山、そして愛媛の文化に広めてゆきたい。」と挨拶を頂いた。乾杯のあとは海外から入手したクリケットの競技やルールの説明といったビデオを見ながら歓談。また、クロスローズ・インターナショナルのジョシュア.L.バテイン氏よりクラブに必要な道具一式が寄付された。 参加者は初めて見るクリケットの道具についてジョシュア他のメンバーに熱心に質問をしていた。 

最初の試合

平成5(1993)年6月25日南海放送サンパークにて同志社大学を中心とする関西地区大学選抜チームと我々松山クリケットクラブで試合が行われた。松山クリケットクラブにとっては最初の試合。競技進行等をいっしょに来松された日本クリケット協会会長山田 誠教授に教わりながら試合を進めた。試合結果は勝利を手に入れることができた。 

夜には南海放送本町会館にて試合結果報告会そして懇親会としてパーティーを開いた。試合結果、個人成績の報告、両者の健闘を褒め称え乾杯をした。 

最初の試合からその後

1993年に試合をして以来、月2回の練習を行った。ボウリングとバッティングの基本練習を約2時間行ってきた。練習場所は芝の管理の行き届いた伊予銀行の松山保面グラウンド。日本におけるクリケットのグラウンドとして申し分のないほどすばらしい環境。恵まれた環境で練習ができた。 

1996年12月1日(日曜日)同志社大学を松山に招き交流試合を行った。

場所は松山市保面の伊予銀行グラウンド。前日から松山地方は天候が悪く雨が心配されたが、当日朝には雨もなんとか上がった。松山地方の山間部には降雪がありプレイヤーの一部は雪のため試合会場まで来れないアクシデントがあったが、前日からフェリーで移動している同志社大学チームを迎えることができた。

寒風のなか、小雪の舞うなかゲームを楽めた。試合結果は松山CCには散々なもので、実力の違いを感じた。 

試合後は懇親会を開き、試合の反省も含めさらに交流を深めた。

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